宗家のブログ

2017年12月22日

12月12日、調布市郷土博物館にて開催されております 「大政奉還150周年記念企画展 近藤勇と調布の幕末維新」を見学してきました。


 近藤勇は 調布上石原の豪農宮川久次郎の3男として、天保5年10月に生まれました。幼名、勝五郎。嘉永2年、剣術の腕を見込まれ16歳で近藤家へ養子に入った後、近藤勇となりました。
 幕末、維新150年を記念して、郷里の調布市立郷土博物館にて 「近藤勇と調布の幕末維新展」 が12月17日まで開かれています。
会場には、近藤勇にかかわる資料が多数展示され大変勉強になりました。
 宮川家の分家が此の度、寄贈した実物の 「近藤勇養子縁組状」 、3月6日、勝沼で敗れた新選組を追うように、新選組に迫る西軍の先方隊が早、3月11日に調布布田宿に現れ、惣代や組頭に下知したり、下見、宿割りする文書類が展示されており、緊迫した状況を知ることが出来ました。
 資料によると、近藤勇率いる甲陽鎮撫隊は慶応4年3月1日、甲府へ向け内籐新宿を出陣、この日は府中宿泊、2日は日野宿で昼食、前軍は与瀬に、中軍は、浅川に、近藤勇達は八王子泊、翌日は遅い雪に悩ませられながら小仏峠、笹子峠を越え、3月5日、勝沼に着陣。 6日、勝沼柏尾にて西軍と戦うも敗れ敗走しました。
 土佐の板垣退助を大将とする新政府軍の追撃は早く、3月9日、八王子宿、10日、日野宿、11日、調布布田宿に到着しました。13日には板垣退助の本隊も到着したと記録されています。
 ここ布田宿から雑木林を、北へ一里半程行った処に宮川家がありました。今の調布飛行場の北側です。でも、政府軍の探索があったなどの言い伝えは聞きませんでした。 あっても云わなかったのでしょう。時が時ですから。
 甲陽鎮撫隊は、分散しながら敗走し、近藤勇は一説によれば、母方の実家がある、小平廻り田新田の母方の実家に数日間滞在してから、江戸へ向かったと言われています。この話は、勇の母方のご子孫からきいた話です。今でも語り継がれているとの事で、歴史的な事実として大切に残して置きたいですね。

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